何でも出来るということは、とても不幸なことかもしれない

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何でもできてしまう器用な人っていますよね。

もちろん、いろんなことが手際よくこなせるコト自体は悪いことではありません。

 

しかし、家事に始まり、仕事、生活に関するあらゆることがほとんど一人でできてしまう人は、とても不幸なのかもしれません。

なぜなら、なんでも出来るようになってしまったということは、逆に考えると「なんでも自分でやらなければならない状況」に置かれてしまった人とも言えるからです。

例えば会社。

本当は分業によって自分のやるべきことは決まっているはずなのに、同僚や上司があまりにも自身の仕事が苦手で、そのフォローをし続けていった結果、むしろ自分のほうがその仕事をできるようになってしまうケースなどが該当します。

他に家事でも同じことが言えます。

妻が掃除や整理整頓が苦手な場合、家を清潔に保つには夫が奮闘するしかありません。

その結果、掃除スキル、整理整頓スキルなど本当は妻に任せておきたいスキルを旦那が身につけることになってしまいます。

以下無限ループが続くわけです。

 

ここまで書いたことは、僕自身の経験談でもあり、考え過ぎ、うぬぼれも十分考えられますが、事実、普段会社や家での僕の持ち分は非常に多いんですよ。

自分自身でも

「なぜ、俺は他の人よりもいろいろなことを知っていて、様々な問題を対処できるのだろう」

とうぬぼれ半分で考えることが最近多くなりました。

同僚にも言われる。「○○さんは、なぜそんなにいろんなことが出来るんですか?」・・・と。

 

そしてたどり着いた答えの一つが、

「何でも出来るようになってしまうということは、もしかしたらとても不幸なことかも知れない」

ということです。

つまり、僕は他の誰かを信用しておらず、かつ、自分自身の基準に達しないものは認めないと潜在的に考えているのではないかということです。

信用していないから自分でやる。

他の人の仕事に満足できないから自分でやる。

家の整理整頓がなってないから自分でやる。

こんな調子では生きている間は常に何かに対して不満を持つことになってしまいます。

そんな人生は幸せと言えるのか。

逆に、誰も信用していない人生なんて、不幸になっていないか?

もっと他の人に任せてもいいのではないか?

 

何でも出来るって本当に素晴らしいことなのだろうか、改めて考える必要があるかもしれない。

出来ることが多い=幸せになりにくい

こういう構図があるように思えてきた、今日このごろです。



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