管理職員のみならず労働者もワーク・ライフ・バランスの本質がわかっていない?

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僕はワーク・ライフ・バランスという言葉にとてつもなく大きな違和感を感じます。

例えば、僕が勤めている会社でもワーク・ライフ・バランスを掲げた取り組みをしていますが、その内容は単なる残業禁止命令です。

とにかく残業に対してシビアになり、仕事そのものの質も量も変わらないにもかかわらず、とにかく残業を減らせと叫び続けています。

そりゃあ使用者としては残業が減れば残業代の支払いが減るし、労基に目をつけられることもないし、いい事づくしなわけですが、その一方で仕事内容に変化がなければそのツケは労働者の自主的な努力、つまり表向きにはわからないサビ残によってカバーされているわけですよ。

こんな馬鹿な話はありません。

そもそも、政府が掲げるワーク・ライフ・バランスの定義はこうです。

働くすべての方々が、「仕事」と育児や介護、趣味や学習、休養、地域活動といった「仕事以外の生活」との調和をとり、その両方を充実させる働き方・生き方

ポイントは仕事と私生活の調和なんですよ。

公私を明確に区別するということではないんですね。

ところが実態は

会社
仕事と私生活をしっかりと区別しよう!

とか

会社
仕事と家庭、どっちも120%全力で突っ走ろう!

こう来るわけですよ。

仕事と家庭のどちらも120%やろうとすると普通はぶっ倒れますし、私生活と仕事を明確に区別しすぎる人ほど精神的な病に侵されやすくなります。

だから政府が掲げているワーク・ライフ・バランスは、相乗効果によってそれぞれ100%にしようと掲げているわけです。

仮に仕事70%、家庭70%でも相乗効果によって100%を得ようってことですね。

理想論っぽいところはありますが、この政府からのメッセージは実は労働者自身も重く受け止めなければならないと僕は考えています。

ところが、思考停止丸出しな残業禁止命令を出す会社がある一方、こんな会社もあります。

僕の知人にとある企業の管理職の方がいます。

彼が言うには

 

管理職の知人

社員には絶対残業させたらだめだって上から言われている。朝も就労時間より早くに出勤させたらお咎めが入るんだよ。

社員が出来なかった分は、管理職のマネジメント不足って言われて、結局管理職員が社員の代わりに仕事をやらされ、その結果、周りの管理職は次々とメンタル不調を発症してる。こんなの絶対おかしいよ。

 

ワーク・ライフ・バランスと関連して働き方改革が声高らかに叫ばれていますが、その実態は管理職員のマネジメント能力の徹底追求なんですよ。

もちろん会社によってその傾向は異なりますし、一つ前の例では管理職員が完全に思考停止で社員に残業禁止を命じていました。

これらの話にはある事柄が置き去りになっている点に問題があります。

そう、労働者自身の意識改革です。

前者で上げた例は管理職員が見せかけの残業を減らすことに躍起になっている一方、労働者側もワーク・ライフ・バランスの趣旨を理解しているとは思えません。

だって、残業は適正な業務命令がなければ本来違法なものであるからです。少し考えればわかることですが、会社の暗黙のサービス残業命令におとなしく従っています。

政府は労働者自身にも働き方を問いているんです。

後者の場合は労働者側が会社の方針に思考停止で乗っかっていますよね。

自分の仕事にもかかわらず、仕事が終わらなければ管理職員がやればいいと思っているわけです。

こんな考え方の社員ばかりになってしまった会社に未来などないでしょう。会社が傾けば自分の食い扶持がなくなるわけですから、管理職に頼り切って、労働者側が何も考えないのは当然NGです。

つまり、ワーク・ライフ・バランスとは使用者・労働者が共にアタマをフル回転させ、長期的に持続可能な健全な職場環境を作っていこうということに他ならないんです。

まとめ

ワーク・ライフ・バランスの終着駅は結局のところ、健全で長期持続可能な生産活動、つまり「仕事」に焦点を当てていると僕は考えています。

現在の日本が資本主義社会である以上、国民の生産性の向上は国としても最重要課題の一つであるはずです。

したがって、ワーク・ライフ・バランスで謳っている「私生活の充実」も結局のところは国民に安定した生産活動を行わせるために必要な付属品として考えられているのではないでしょうか。・・・想像ですけどね。



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